昔、大学時代にたしかに誰かに言われたことで印象に残っていること。
今でもたまに思い出すことのひとつが……
「大学の授業料を1単位分で計算するとおよそ3万円」
だということ。
(たぶん4年間の授業料÷卒業に必要な単位数のことだと思う)
つまり、この1単位を居眠りしたり、サボったりして落とした人は3万円をドブに捨てていることと同じだという話。
大人になってその価値について考えると、たしかに大きいなとは思います。
実際に私のこの3万円は借金から成り立っているし……
でも、サボったり単位落としたりしたその時間を全部が「無駄」だと思いたくない自分もいるのよね。
要領よくこなせないことも「時間のムダ」か
たとえば、私ははっきり言って要領はよくない方だと思っています。
登録販売者の資格をとるときも、勉強を始めたのが試験の1年も前から。
しかも独学。
薬局に勤めていたとはいえ、日々地道に参考書を読んだり過去問をこなしたりで……
3ヶ月くらいで結果を出せている人にとっては非常に効率が悪くもったいないように見えるかも。
このブログを書き始めたのだって……
そもそも最初はAmeba Owndで見切り発車的に開設して。
なんとなくWordPressの入門書的本を買ったけど、ほとんど読まずにほぼ勘で移転して。
ブログの書き方のなんたるかもままならない状態でした。
効率よく動ける人って、だいたい物事の全体像を把握していたり、優先順位を決めたり、計画性のある人なイメージ。
「見切り発車」大得意な私とはまるで逆のようです。
でも、別にそれが全部「ムダ」だったようには私自身は思っていません。
「結果」に出るまでの「過程」も楽しみたい
なぜなら、たとえ目的地を設定していたとしても……
そこに行くまでの道を楽しめなければ到着できない人間だということがわかっているから。
最短ルートも、それはそれでいいんだけれど、たまには寄り道したいときもあります。
まっすぐゴールを見つめるばかりではなく、たまには傍に目を逸らすこともあります。
そうすると、今まで目に入らなかった景色に、はじめて気がつくこともできたり、新しいアイデアが湧いてきたりすることもあるのです。
いや、これ本当のことです。
こうして目的地の到着が遅れることを「ムダ」だと捉える人もいるかもしれませんが……
私は「必要な時間」だったんだと、受け止めるようにしています。
「休みの日」は本当に「休んでいい」日にする
休みの日になると、どうしても湧いてくるのが……
「いつもできないことをやらなくちゃ」
「なにか行動して達成しておかなきゃ」
という、なにもしないなんてもったいない〜という感情。
結局なにもできないと、罪悪感に苛まれて、1日を後悔しそうにもなります。
でも、休日は本来「休むための日」なのだから、どんな過ごし方してもいいんですよね。
「休む」と決めて休むのも、それは意味のある時間。
そう、自分で認めてあげないと、心もからだも疲れたまんまですよね。
無駄な時間を愛する、それも生き方だと思う
私は子どものとき、毒にも薬にもならないようなことを延々と続けているラジオ番組を好んで聴いていました。
もっとためになることって世の中にたくさんあったと思いますが……
その番組を聴くことで当時の私は生きることができていたなと思っています。
ムダなことを全て排除した人生なんて、ぜったいつまらない。
遠回りしてでも、人生楽しんだもの勝ちやなって思います。
焦らないでいきましょう。
今日もすてきな1日になりますように。