私は学生時代にお芝居の脚本を書く勉強をしていました。
それで、コンクールとかの公募に参加したりもしていました。
そういう経験をしていたから知っているんですけど……
ああいうのって、基本的に作品を「落とす」ためのふるいなんですよね。
だから、そもそも基本の書式になっていない作品って、読んでもらえないんです。
目次
基本のスタイルができていてはじめて土俵に立てる
脚本には、場面の最初に「柱」を立てて……
ト書きは3マス下げて書き始め、現在進行形で表現し……
セリフは2行目に入ったらひとマス下げて……
というように、書き方にルールがあるんです。
公募になると作品の原稿用紙枚数が決まっていたり、もちろん締め切りもあります。
こういうのをひとつひとつ守らないとどうなるかというと……
苦労して書き上げた作品を、一文も読まれずに落とされてしまいます。
こういう世界のことだし、当然と思うかもしれません。
でも、そういう感じって、一般社会にも通じるところありますよね。
オリジナルを目指す前にまず基本を固めるのが優先
仕事をしていると、上司や先輩が教えたことを教えたとおりにできない人がたまにいます。
そういう人をよく見ていると……
実はその人なりにすごく考えて仕事をしていることもわかります。
自分の考えをもって仕事に取り組むことは大切な要素のひとつです。
「こっちのほうがいいかも」とアイデアが湧くことだってあるでしょう。
でも、その土台には「基本」というものがあるんだと、最近とても感じます。
この「基本」てなんだろうと考えたときに、基本の「基本」となる考え方が……
「いつどこで誰がやってもおんなじで習慣化されているもの」だということです。
そこがブレブレだと、その時々の仕事のクオリティにムラがでたり、説得力に欠けたり……
いろいろと弊害が生まれることが多いんです。
基本にはちゃんと「意味」があることを理解する
そもそも、なんで「基本」を大切にしなければならないのか。
この「基本」の動作、仕事のひとつひとつの「意味」を知らなきゃならんなと思うのです。
なぜ、髪型はまとめなければならないのか。
見た目に不潔感を与えないため、とか。
なぜ、相手の目を見て挨拶しなければならないのか。
相手を受け入れているという心を届けるため、とか。
現代を生きるのに、古い常識は必要ない、という思いも湧くことがありますが……
なぜ、こうした動作は、古くから伝えられ続いているのかということを、一度思い巡らせたりするのも、悪くないと思うんです。
応用ができる人はそもそも基本がちゃんとできている
接客に限ったことではありません。
商品の前出し、レジ操作、発注業務……
基本の動きを踏襲した上で、長く培ってきた感覚が光るのだと思います。
だいたい、感動の接客、精度の高い発注とかできる人は、基本が当たり前のようにできるんですよね。
脚本の世界は基本ができなきゃ作品の存在すら認められませんが……
いろんな世界でも、基本ができてはじめて「戦力」と認められ「信頼」が得られるような気がしています。
まずは基本に忠実に、自分の行いを振り返ることをしよう
最高のおもてなしをする場で生きてきた人だって、くり返し説くのはやっぱり「基本」
いいパフォーマンスをするためにはいつどこでどんな状況でも同じようにできる「基本」を身につける。
その動き、思いに意味を見出し、理解する柔軟なこころを持って生きたいなと思うこの頃でした。
それでは、今日も元気にいってらっしゃい〜!