バタバタと日々働く中での、たまのお休み。
こういう時こそ、日頃できない何かに挑戦したり手を染めていきたい! けど……
そんな気持ちとは裏腹に、何にも手がつかずベッドの上から動けない、なんて日があります。
体は動かないけど手元は動かせるから、スマホをいじっては時間がつぶれていく。
こんなんでいいのかな、こういう状態でも、何かできることはないのかな……
と、考えた私が最終的に何をしたかをご紹介します。
目次
「何かしたい」より「何もしたくない」を優先した
結論から言って「何もしない」ことを選んで、だらだら過ごすことに決めました。
私が本当にしたい「何か」は「何もしない」ことなんじゃないかな〜と思ったから。
「何もしない」なんてことだって、ふだんからできないのだから、やったっていいでしょ、という考えです。
「何かしたい」と思う理由は2つある
ベッドから起き上がれないくらいに「何もしたくない」のに……
それでも「何かしたい」と思う理由ってなんなんだろう。
多くの人はきっと一つは思い浮かぶかもしれませんが、私の場合、もう一つあるな〜と考えています。
「何もしない」ことに対する罪悪感
「何もしない」ことで感じる罪悪感に「時間をムダにしてしまった」という感覚もあるかと思います。
もう少し早起きしていたらあんなこともやれただろうに。
こんな時間までだらだらしなければこんなことがやれたのに。
時間は有限ですから、ムダにしたくない、有意義に使いたいという気持ちが湧くのは、当然のことかなと思います。
それをだらだらと何もせずに過ごしたら、まるで時間をドブに捨てるような感覚になってしまう、という人は多いでしょう。
自分はもっと「何かできる」という過信
もう一つ私が思った理由は「自分はやろうと思えばやれる人間なはず」という、確証のない自信がそうさせている節です。
何もやる気が起きない原因が、何かわかっているような場合……
自分はこんなことでやる気を落とすような人間じゃないし、何かをやるべきなんだ、だらけている場合じゃない。
と、自分のキャパシティはもっと広く存在していると信じているパターン。
「本当はもっとやれるのにやらない自分」に失望して、どんどんやれなくなってしまうことって、ないですかね。
「何もしない」という予定を組みこむ
そうであれば、まずは「何もする気が起きない」自分を認めるところからはじめなければなりません。
自分はそこまでキャパシティ広くないし、疲れていてそれどころではないんだという事実を受け止めて……
せめてやることとして「今日は何もしない」という予定を立てる。
はい、これで今日やることが決まりました。
思う存分、何もしない1日を過ごしましょう、ってことです。
「何もしない」うちにきっとまた「何かできる」ようになる
「何もしたくない」のは「何かする」ことにおいて、エネルギーが残っていないということです。
エネルギー不足であれば、その分チャージが必要ですから、ゆっくり休んで、パワーをためこむことも肝心です。
そのうち他にやりたいことができて、やれるようになることを信じて……
今は慌てず、ひと休み、ひと休み。
今日がすてきな1日になりますように〜。